
戦前は住民の飲み水として使われ、また、甑(こしき)島から来た漁師の人たちの飯場があり、そこで利用されていたそうだ。
この場所は信仰の場でもあったと言われる。一湊の昔の宗教は法華宗だったそうだ。(今と異なり、昔は集落ごとに宗派が決まっていた)
明治10年、宗教が自由となり、それまで圧迫をうけていた浄土真宗が屋久島へ布教に入った。水場は、鹿児島市谷山の人で千亀さんという布教者の名前を取って、千亀の井戸と名づけられたそうだ。

千亀の井戸は石で囲われ水が溜まっていた。湧き出る様子がちょっとしかなさそうなので、どこか詰まっているのだろうか?
現在は、看板も目立たず訪れる人もほとんど居ない。かつてここの水が使われていたことを覚えている人も少なくなったという。
一湊の区長さんに聞いたところ、ここの湧き水場を復活させて地域の活性化を図ろうと計画中だとか。歴史のある一湊集落に、観光客が立ち寄れる憩いの場がさらに増えれば私もうれしい。

千亀の井戸の目の前の一湊海水浴場では、夏の前に海水浴場開きが盛大に行なわれる。矢筈岬を挟んだ入り江は、釣りやダイビングのポイントとなっている。今度、岬入口の広い駐車場に車を停めることがあったら、まずは井戸探しから始めてみては。
関連記事:
≫屋久島は海水浴開き
≫海の日
人気blogランキング ←1日1クリック!応援よろしくお願いします。
くつろぐ ・ ブログ村(地域生活-鹿児島) ・ ドットネット(地域-九州) ←こちらもお願いします。