
ウミガメも産卵に来ていた。地引網漁も行われていた。山手には50メートルおきに黒松の巨木があったそうだ。
そのような説明書きの看板を目にしたので歴史がわかったが、ただ通っているだけではとても往時を回想することなど困難である。

当時を知る人に、昔のことをもっと若い世代に残す機会があれば、島民も観光客もまた違う角度から屋久島を体験できるのではと思った。
今は港があり、その通りは「如竹通り」と呼ばれ、イスとテーブルが置かれ、日除けのパラソルもある。

日差しが強い屋久島では、ちょっと外に出ただけでも日焼けすること間違いなし。だから日除けのパラソルはありがたい。
関連記事:
≫如竹通り
人気blogランキング ←1日1クリック!応援よろしくお願いします。
くつろぐ ・ ブログ村(地域生活-鹿児島) ・ ドットネット(地域-九州) ←こちらもお願いします。