
私が帰った晩は90歳の祖母のお通夜だった。急に眠るように亡くなったので、死に目には会えなかったがお通夜には間に合った。
たぶん私は祖母に呼ばれたんだと思う。私が屋久島の家を出発してからまもなく亡くなったのだ。13日を命日にして亡くなるなんて忘れることはないね、と親戚で話し合っていた。
占い師の叔母は大体わかっていたと言うが、私はお盆の航空券の高い時期にわざわざ帰りたいというふうに思ったのが、そもそも自分でも落ち着かない感じがしていた。

肉食が好きな祖母は、私が数年前に会ったときは太っていたが、死に顔はほっそりしていた。祖母は、ひんやりしていてずっしりと重く手足はむくんでいた。額に手を当てると、祖母の冷たさから私が生きていることを改めて感じた。
あくる日、祖母は白装束を着せられ、わらじと杖と六文銭(10円玉6枚)を携え骨になった。骨は軽石みたいにスカスカしていた。リン酸カルシウムになってしまった祖母の思い出話に花がさいた。

翌朝、気候の変化からか私は喉の痛みで目が覚めた。喉が腫れていた。
痛みは初七日まで続いた。7日目の晩に熱が出て、のどの痛みもピークだった。その後徐々に回復して行った。
その合間にも、祖母が住んでいた羊蹄山の付近を友達と車で散策してみたりした。

「このあたりは3年位前地価上昇が日本一になって、オーストラリア人がペンションを建てたりして冬のスキーの季節に盛り上がったが、今では不景気で撤退してしまって売り物件がたくさん出ているよ」と、友達が言っていた。
どんぐり通りと看板がある通りは、夏のせいもあって人気がなく閑散としていた。また、湧き水を遠くからでも汲みに来る場所があり、すっかり観光地化されていてバスがたくさん停まっていた。

ラーメンやとうもろこしやカニを食べたりして、私の10日間の短い夏休みは終わった。
屋久島に戻ってきたら太陽がさんさんとして、祖母にも見せたかった景色が生命力にあふれていた。
人気blogランキング ←1日1クリック!応援よろしくお願いします。
くつろぐ ・ ブログ村(地域生活-鹿児島) ・ ドットネット(地域-九州) ←こちらもお願いします。