小杉谷には民家から少し離れた場所に小中学校があり、トロッコでの生徒の送り迎えはTさんの仕事であった。トロッコは優雅に見えるが、実に危険なスリル満点な乗り物だったという。

Tさんは、わが子を小学校1年生になるまでふもとの安房集落に連れて行ったことがないという。トロッコに小さい子供を乗せるのは感心しなかったからだそうだ。
しかし、小学校入学を期に一度は世間を見せておく必要があると思い、子供を時速40kmのトロッコに乗せて約10分間走り、ふもとまで行った。子供が安房の海を見た第一声、「父ちゃんこれはすごく大きな川だね」と言ったのがいまでも忘れられないですよ、とTさんは笑う。

「神を信じる人は、木を切り倒す前に必ずサカキと塩と米を供えてお祓いしてから作業を行ったものですよ。私は信心深くないのでやりませんでしたがね。昭和41年にチェンソーが導入され、屋久杉を伐採する作業も楽になりました。
山から切り下ろされた屋久杉は、船で鹿児島まで運びそこで入札され、家を作る材として方々へ運ばれました。

小杉谷に住んでいた頃、懐中電灯を片手に宮之浦岳に日の出を見に行っていましたが、それはそれは大変美しい光景でした。
解禁日に鹿を取りに行って、皆で刺身や鹿鍋を食べたのが懐かしいです。雪が降っている時期は、鹿は雪に埋もれて胴がひっかかりすぐに捕まえられたものです」

小杉谷が昭和45年に閉鎖になったあとも、営林署に勤務し山林の保守作業の仕事をし、定年を迎えた。その後も故郷の種子島には戻らず、屋久島で老後を暮らすことに決めたTさんである。
現在、15年前に再婚された奥さんと愛犬のメリーと、静かな暮らしをされている。タバコの煙をくゆらせて遠くを眺める姿は、営林事業の裏も表も知り尽くした生き証人のように見える。
(二番目以降は小杉谷の資料写真)
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