
少し前、
NHKテレビで白川山(しまこやま)集落が取上げられていた。一湊から谷川を遡ったところにある集落は、詩人の
山尾三省さんが住んでいたことで有名だ。白川山は一度人が居なくなったが、三省さんなどが移り住んでいまも二十戸弱の民家がある。

屋久島は、縄文時代からの歴史がある割には新しい集落が多い。一方、消えた集落もある。小杉谷と石塚集落だ。大正年間末期、屋久杉の宝庫だった安房川の上流に、伐採基地として開設された。小中学校や理髪店、購買所などのある、丸ごと営林署の大集落だったそうだ。
海からそびえたつ山々への降水量は日本屈指。雨が屋久杉を育てた。「月のうち、35日は雨」と小説「浮雲」に林扶美子が書いたのも、標高の高い集落での雨の多さを表現したもの。当時、島では普通に言われていたようだ。

屋久島の人口がピークだったのはこれら集落があった頃。木材需要が旺盛な戦後、経済復興を先導して島は栄えていた。このブログで書いた
屋久島に映画館があった頃のことだ。映画館のあった安房は、屋久杉の積出港として、また林業関係者の憩う町として賑わいがあった。両集落は、屋久杉をほぼ切りつくして昭和40年代中頃に閉鎖された。

小杉谷集落跡地は、屋久島で一番人気が高い「縄文杉」への登山道の途中にあり、記念碑も立っている。有名な小杉谷と比べ、石塚集落跡地を訪れる人は今ではほとんどいない。石塚の写真を誰か持っていないかと話していたら、ある人がガンバって訪れ、撮ってきてくれた。
写真で見る石塚集落は、家の土台や釜戸などすっかり苔で覆われ自然の大地に還ろうとしていた。めったに使われていないのかトロッコ軌道が錆びて赤茶けている。
(写真は石塚集落跡地、ミナミ)
参考:
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posted by みー at 09:58| 鹿児島 ☀|
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